2006/09/30




ウィキペディアに日本初のオフィスコンピュータ製作と掲載

http://ja.wikipedia.org/wiki/日本初の一覧#.E3.82.B3.E3.83.B3.E3.83.94.E3.83.A5.E3.83.BC.E3.82.BF


 久しぶりにグーグルで自分の名前を検索してみたところ、2番目にウィキペディアの[日本初の一覧]が出て、建造物、交通、医療、に続く科学技術の大項目のコンピュータの欄に、「・日本初のパーソナルコンピュータは日本電気のTK-80……」に続き[・日本初のオフィスコンピュータは、奈良総一郎が製作した[電算テレビ]。インテルの8080マシンに8インチフロッピーディスクドライブとバーコードリーダーを接続したもの(1978年)}と掲載されていたのでちょっとびっくりしました。

 これは通産省の1千万円の補助金を得て開発したもので、用途としては販売仕入管理専用機でしたが、ソフトを追加すれば今日のパソコンと同様なことができるので、ある意味ではパソコンの1号機だったといえるかも知れません。

 昭和50年当時私は、東京計算センターの常務と、中小企業電算システム研究所長を兼ね、通産省と日本商工会議所の流通仕入統一伝票作成委員を拝命していました。
 
 昭和48年の石油ショックは、家庭婦人のトイレットペーパー買占めだけでなく、日本の経済界に大きな混乱を起こしました。何しろ日本にとってはじめての経験。そのしばらく前に、少壮官僚堺屋太一氏の[油断」という本で、石油が入らなくなったら日本がどんな悲惨な状況になるが十分に警告されていたので、買占め、物不足、値上がり、賃上げ、その後の販売急落、等々、大混乱がありました。

 ある電話機メーカーは、積み立て現金が25億あるから、(当時としては莫大)仕入先に、何でもいいから原材料のある限りもってこいと仕入れ、巨大な倉庫の扉が閉まらなくなった、というような話が全国で行われたのです。

 しかし、石油は入ってきました。その後の不景気は目を覆うようでした。


 通産省は、生産関係の在庫や生産の状況については大体把握していましたが、流通関係については不十分でした。ちようどドラッカーの[流通の暗黒大陸]という本が出版されたところでした。

 そのことの反省から通産省は、[流通近代化基本計画]を立案,その具体的方策として,①全商品にバーコードを採用する、②百貨店、スーパー等の大型小売店の仕入伝票を統一する,③物流に使われるパレットのサイズを統一し処理を簡素化する、という三つの委員会を立ち上げました。
 私はその統一伝票の委員を拝命し、いろいろの面白いエピソードは別の機会に述べたいと思いますが、とにかく約1年でなんとか統一伝票が発足しました。
 
 私は、中堅、中小卸業の販売在庫管理のコンサルタントの経験から、その業務の複雑さ、困難さを熟知していました。 ちょうど、インテルから8080というマイクロコンピューターが出て、また8インチのフロッピーディスクが発表されたので、それまで暖めていたシステムの設計が可能となってきました。それを通産の担当の商業課長に説明しました。

 [まずテレビ画面に統一伝票の画面が出ます。最初に得意先名のところがピカピカひかります。横にある得意先名簿の漢字名の下のバーコードをリーダーでこすると得意先コード,店名、掛け率が画面に入ります。同様に商品名、上代,下代とうがはいります。数量はバーコードリーダー(ツーウエイ)で画面の数字を押すと横計が入力され、数行はいると縦計がはいります。これをプリントすると統一伝票ができ、かつフロッピーに日計、売掛帳、在庫帳、販売統計、同様にして仕入統計も自動的にできます。」
 
 話を聞き終わった商業課長さんが言いました。[奈良さん、ちょっと一緒に来てください。]連れていかれたのは通産ビルの1階下の電子政策課長のところでした。この人は日本のコンピュータ産業の育成に大功績を挙げ、後に郷里の知事となり一村一品運動で有名になりました。

 私が感心したのは、少壮官僚の商業課長の簡潔な説明と決定の早さでした。[中小企業者が簡単に使えて統一伝票を発行できる販売在庫管理用の新型超小型コンピュータシステムの開発」というだけで[それは必要なことだ]と即座に1千万円の補助金が決定されたことです。

 この補助金により、中小公庫の融資、IPAの保証による長銀融資等の資金が集まり、開発がフル回転で動き出し、こうして約1年、T通信機の技術陣の協力も得て最初のオフコンの製造は夜に日をついで進みました。こちら側で苦心したのは詳細仕様のチェックとアセンブラーのソフト作成でした。


 さて、その発表です。当時パソコンという言葉がなかったのでさんざん考えた結果、「電算テレビ」と命名して、晴海のビジネスショウに大々的に発表したところ、一般の来場者もたくさん来ましたが、フランスのブルまで含めたあらゆるコンピュータの技術者が大勢殺到し、[フロッピーの信頼度は?」とか[プログラムの方式は?]などと質問攻めにあいました。

 1台450万円で、翌年のビジネスショウまでに20数台を販売したのですが、翌年のビジネスショウにはまったく類似のオフコンが12社も出品されたのには開いた口がふさがりませんでした。
 もちろん特許も出願したのですが、当時の特許庁の見解は、こういうものが特許になるかどうか今世界中で論議しているところなので受理は保留ということでした。
 ソフトがらみのパテントが認められるにいたるまで6年早すぎたのです。

 なにぶんライバルの12社は、IBMをはじめ、そうそうたる有力企業で、資金力、技術力、販売力、その他どれをとっても競争になりませんので1年で泣く泣く撤退しました。もしあれが特許になっていたら、……といわれることもありました。

 (この経験から中小企業にとっては特許等の知的所有権が一番大事だということを学び、十数年後には「システムダイアリー」の商標侵害で日本の超有名企業3社と争い、たとえて言えば十数万トンの超大型空母,戦艦3隻とゴムボート1隻で海戦をやり、有利な和解をかちとったことがあります。) 

ナラコムのホームページ:http://www.sd-naracom.com/naracode/index.html

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